モーダルな事象
ここが凄い!
- 並外れた文章力!
- ぐいぐい読めるし、一文一文をじっくり味わっても読める。
- 謎解きよりも語りの面白さでどんどん先に進める。
- 三人称複数視点。二つの物語が進行するので目先が変わって飽きない。
- 主人公桑潟幸一助教授のキャラクターが面白い。
- もう一人の主人公北川アキのキャラクターも面白い。
- 『鳥類学者のファンタジア』の主人公フォギーが北川アキの友達役でちょこっと出てくる。
- 現代出版業界批判にもなってるのかも。
- これはミステリーか?うーん。
- これはSFか?うーん。
- これは面白い小説か? YES!
- 千野帽子氏の解説もなんだか凄い。作品の延長みたいだ。
- 巻末の奥泉光スペシャルインタビューも楽しい。グレッグ・イーガンが好きとは意外。
日本人作家の小説を読む醍醐味みたいなものを味わいました。奥泉光さんはやっぱり凄いね。
こういう小説大好きです。
解説に『吾輩は猫である殺人事件』『鳥類学者のファンタジア』『新・地底旅行』を先に読んでおいたほうが良いとかかれていましたが確かにそうですね。
じゃないとトマス・ハッファーや宇宙オルガンなどのSFギミックが引っかからないと思います。
そういう自分はまだ『新・地底旅行』は読んでないのですけどね・・・。
ただほかの2作品は既読だったので読んでない人よりはより楽しめたと思います。
特にフォギーが出てきたときはうれしかった。バルザック的人物再登場というやつですか。
以下面白かった巻末インタビューから一部抜粋。
僕には今でも、漱石をリライトしたいという気持ちが強い。自分が呼んで面白かった経験をもう一回自分の手で再現したいというのが、作家にとってもっとも素朴な書く欲望だと思います。
ポスト全共闘時代というのは、つまり内ゲバの時代なんです。全共闘運動世代の暴力が華々しい祝祭的暴力だとすれば、浅間山荘事件以降の内ゲバの暴力は陰惨な暴力です。当時「しらけ」という言葉があったんですけど、言葉が乱費されて、もう言葉なんて無意味なんじゃないかと感じられた時代でした。
リアリズムって、なんだか嘘くさいわけですよ。これは僕だけの問題じゃなくて、日本近代文学の一貫した課題なんです。なんとなく通俗な感じ、嘘くさい感じが、どうしても三人称のリアリズムで書くと漂うわけです。
「加多瀬は考えた。」と書くと、何か気持ち悪いじゃないですか。これは芥川もそう感じていたし、多くの人がそうなんですよ、日本の小説家は。
だから嘘くささを消すために私小説に向かった。つまり嘘くささを消すために本当のことを書こうというわけです。考えてみると過激ですよね。これは日本語リアリティの、今でも根底にある問題なんだと思います。
(『鳥類学者のファンタジア』について)
これはすごく幸福感のある小説だと思います。何よりも楽しく書こうと考えた。いわばジャズ的な発想です。ジャズってのはそういう音楽で、つまりやっている人間が一番面白くてリスナーは二番目なんですね。